=しんこだんごの由来=
元中3年(1386年)、石屋和尚は吉利東区の深固岳の北麓に草庵を結び、寺を開いて深固院と名付け、ここで布教に努めました。地区住民の信望を一心に集め高僧の名声ほまれ高きものがありました。たびかさなる飢餓の際米の落ち穂を拾い、米の粉を原料に団子をつくり住民の飢餓を救い、のちに方々にひろがった人々はこれを名づけて深固団子(しんこだんご)と呼ぶようになりました。
=両棒餅の由来=
明治10年(1877年)の西南の役前後に仙巌園のお庭番が始めたとも言われています。
「両棒」の両は中国語で「りゃん」。鹿児島弁(薩摩)ではなまって、「ぢゃん」と言います。鹿児島は日本の孟宗竹渡来の地であり、竹串を餅に刺した格好が薩摩武士の「両棒差し」に似ていることから「ぢゃんぼ」と呼ばれるようになりました。
=灰巻き(あくまき)の由来=
あく巻きは予め一晩ほど灰汁に漬けて置いたもち米を、同じく灰汁に漬けておいた竹の皮などで包み、灰汁で炊いたものです。
薩摩藩が関ヶ原の戦いの際、または豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に日持ちする兵糧として作ったといわれています。また西南戦争の際にも西郷隆盛が保存食として持参しており、これを機に薩摩藩外の宮崎県北部にも普及することになりました。
=さつま芋の由来=
サツマイモは紀元前3000年には熱帯アメリカ地方ではかなり広く食べられていたようです。有名な説では、アメリカ大陸を発見した、コロンブスによってヨーロッパに持ち帰られたサツマイモが、後にポルトガル人によって東南アジアに伝えられ、1604年沖縄、1705年に鹿児島に伝えられました。薩摩山川の前田利右衛門は、船乗りとして琉球を訪れ、甘藷を持ち帰り、「カライモ」と呼び、やがて薩摩藩で栽培されるようになりました。

■幸吉の安納焼いも■
糖度を上げる決め手は熟成
(石蔵低温熟成)
熟成に最適な温度と湿度の中で管理されたお芋専用の熟成用石蔵で40日以上熟成したお芋だけを使用し、桜島溶岩プレートを使用した窯に炭火でじっくりと焼き上げました。

■おいしい召し上がり方■
お芋を袋から取り出して、ラップを使わずそのまま電子レンジで5〜6分加熱してお召し上がり下さい。焼きたてホカホカの焼き芋が出来上がります。
保存いただく祭はマイナス18度以下でお願い致します。

